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    • 2018.12.01 Saturday
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    糖尿病 / 長年継続の予約受診をキャンセルに至る

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      JUGEMテーマ:日記・一般

       

      前回4月の受診の時に予約したのが10月末。薬を止めてしまっているので病院に行くといっても現在のHbA1cがどうであるかを確認したいというのが、自身にとっての目的。ということなので前回の前も4ヵ月程をおいてだったと記憶する。それを半年に伸ばし、今後もその位のペースで、というつもりだった。普通に、次の時には良い結果を見ることができるようにと考える。医師の手前もあるし、「駄目ですねえ」といった眼で見られないような形にもっていかないと、と考えるわけなのだが、相変わらずのマイペースの結果望ましい数値に辿り着けるわけではないのが常。ただ、予約をしておくと良い結果を見ようという目標の日として考えることができる、ということを改善のために良いことだと思ってきた。だが結局のところは同じような範囲の上下に留まったてるだけだし、その上下も7.8〜9というような非常に良くないレヴェルのところなのだが、私自身はそれにどっぷりと慣れてさして異常とも思わない。合併症などある訳がないと、医学的な知識がないだけに自身の体感覚に頼って怖れない。そこが医師の認識との完璧なズレ。予約の日が近づくにつれ、何ということなしにいつもの女医と顔を合わせることに気の重さを感じるようになったのだ。同じような結果を知ることに意味がある?  変えられない自身の意識を思い知らされるだけのことに。そんなことでの、初めてのキャンセル。中断の7、8年があって以降の15年程? 常に予約し継続してきた通院であったけれども。

       

      予約日の一週間前に病院に電話でキャンセル。その数日後位だったのではないだろうか。すぐ近くの公民館の図書室内をぶらりと見て回っていて何ということなく手にとったのが、田中瑞雄著「糖尿病は治せる! 「低糖質食」の威力」(2008年日本評論社)。今までこうしたタイトルの本を何度か読んできているので、改めて関心を覚えたという程のこともない。それでもパラリとめくって拾い読みして、何かこれまで読んだものと違うかな、という感じがあったせいか、書棚に戻さずに借りてみようという気になった。どの部分を読んでそう感じたのか忘れてしまったけれども、帰ってから読み始めてみて興味を覚える部分、共感を覚える部分の多い、そして自分にとって得るところの多い一冊であるらしいのを感じた。これまで手にとってみたこの方面のテーマのものにはない、父親の糖尿病、またご自身のリアルな「糖尿病体験記」という部分に生々しく触れられるということがあって、興味をひかれた。「私は50歳で糖尿病患者の仲間入りをした。ごく当たり前にSU剤を飲み始め、最初の一年間だけは、かなり厳しいカロリー制限とウォーキングに取り組んだ。〜〜〜〜しかし、必死の努力もそこまでで、気が付くといつの間にか元のメタボな生活にどっぷりと浸かっていた。」 最初にそのように書かれている。田中さんは医師(外科医)である。糖尿病の患者であるだけの人の場合とは、また違う印象がある。医師なればこその対応があるのでは? などというような。

       

      自分の一冊が欲しくて早速amazonに註文した。田中先生は発症から10年目、「糖尿病と真正面から向き合おうとしないで、毎日のように飲んだくれた生活をしていた私を突然全身の関節痛が襲った。それが始まりだった」、という経験をされる。医師にして、そうした状況に至ったこと。私のような他のみんなと同じではない? ということでの通じやすさ。自身の場合、最初に病院に行って治療後半年くらいで、血糖値も正常に戻り、翌年一度検査に行ったくらいでその後9年程行かなくなり、行った時にはHbA1cが確か14.7%。「わかっていても食べ過ぎたり飲み過ぎたりしてしまって、悩み苦しんでいるのが患者の本当の姿」とこの中に書かれているけれども、外科病院院長だった田中先生にしても彼なりに常に意識しつづけ薬も飲み、治療のために心がけるべきことはやろうとしていたものと思う。ただ飲んだくれた生活をしていたわけではないだろう。そんな中、診察に行けば、常にA1cや血糖値のこと、合併症の危険のことを言われる。憂鬱な医師とのやりとりを繰り返していたものと想像する。

      糖尿病というわけではない医師には、「患者の本当の姿」の部分が全然分からない。「分かっていても食べ過ぎたり〜〜〜」の現実面、葛藤面が分からない。私自身、医師に対した時にはもどかしさを感じたもの。だから口癖のように口をついて出ていたのは、「意志が弱いもので〜〜〜」。実際そういうことだったのだけれども、人間にとって食べること、食欲は本能的にあるものだし、ということに絡むジレンマ。

       

      発症後10年目に突然全身に関節痛というようなことから入院。血糖値を下げなければ手術ができない。ということが低糖質食への覚醒のきっかけということだったが、手術となる以前には一日に煙草を100本吸っていたとか。どうしたらそんなに吸えるもの? などと思ったり、手術後に車椅子で付添いの人と外に出ている時に、どうしてもコンビニに寄ってあんパンを買いたくなるという場面など、何か印象に残った。同じ京大医学部出身の医師で糖尿病、そして糖質制限食を巡り方法を持った同級生、あるいは知己を師のような存在(教祖と呼んだり聖パウロと呼んだりとユニーク)として自身の低糖質食実践を定めていくのだけれども、田中先生は糖尿病治療薬については、「劇薬」「毒薬」と規定する。不要なものと一線を画す。言われていることがとても良く解る。現実に行われている糖尿病の治療一般、病院での主流となっている医師の対応。かつて病院に行かないでいた間のことなどを思い起こすと、救われない気持になる。主食以下定められた単位に従っての食事療法、最初に病院に行った時以降、守るべきものとして意識にありつづけたその療法の危なさ。全く知ることなくどんどん悪くしていったということだし、それも当然だということが糖質制限食の意味を知れば解る。だが医師の対応とは、そちらが中心。そして血糖降下剤。SU剤。それが治療に必要なことと考えもせずに思い、病院に行き始めた私も以降10余年、糖質制限食の知識を得てからもなお飲み続け、漸くその後に薬を止めることを実行。

       

      「劇薬」「毒薬」と彼に規定された糖尿病治療薬。血糖値を当然高く上げる主食のカロリーだけを制限し、血糖降下剤、SU剤の服用、運動対応、そうした主流の治療法に医師はどっかりと乗って、療法を忠実に守れず血糖値不良の患者たちに対して叱責の言葉さえ向けるという、糖尿病治療。とんでもない誤りを冒しつづけているのではない?  と思わせるほどに確実な根拠も伴わないように思える。著者田中先生の父親も糖尿病で、模範的というほどに食事療法等実行されたということだけれども、良い結果は得られなかった。そうしたことなど知っても、真実頼に足る療法なのか疑わしくなる。薬を止め糖質制限食に変えた者からすると、と特にそう。シンプルな解りやすさを感じない。                                   田中瑞雄著書に触れて私を動かしたのは、そしてショックであったのは、先生がその実践する低糖質食に変えて後、A1c5%台を見、目標として4%台のことまで言っていたこと。私からすると別次元のA1c模様。彼を動かしたのは、手術に至る体の異変があったことから、深刻な合併症への「怖れ」を考えられたからだろうと思う。人工透析。可能性を思えば不安は募る。、ともかく、その低A1cを実現した。その事実。そういう可能性を思ってもいなかった自分との途方もない違いを感じた。意志の強さも比較にならない、取り組みの綿密さにも感心するのみ。A1cは高くてもそういうペースで来ていることに慣れ、別に何も異常なことは起きていないのだからといった自分の勝手な思い込みが、いかに愚かなものだったかということを感じ出したのである。

       

      基本、主食は抜く食生活。だが店々で眼にするさまざまな種の菓子パン類、スウィーツ、チップス、ビスケットの類他、日を置いてつい手を伸ばしてしまうから、結局同じことというパターンのA1c高。他の人々で誘惑に極力負けずにある程度良好なA1cを保っていられるのは、それは結構。ただ私にはこういうペースでしかできない。よって他の人のケースは参考にはならない。というような感覚からの、不変の状況。その状況、感覚、意識の過ちに、この田中瑞雄氏の記録を通して思い知らされてしまったということになる。あまりのA1cレヴェルの違いに。A1c8台なんて、とんでもないだろう? という当たり前のことをそうとも思わずに来たことの愚かしさに突如・・・・・・・。そういえば先生は執筆当時の現在のこととしてこんなことも書いている。「好きだったインスタントラーメンや杏仁豆腐を我慢できているのは、透析が必要になって低カロリーのうえに、塩気のない低蛋白食しか食べられないことにくらべれば、どうってことないと思うからだ」。しっかりと歯止めになる危機感を自分の中に置かないと、取り返しがつかなくなった時に後悔することになるだろう。「しっかりと我慢のできる人」である先生なればこその実現A1c。鈍感なままでいるといずれ思わぬことになる。もう73歳という年齢だけれども、充分に生きたからなどとやはり開き直ってもいられない。

       

      というようなことで、A1cのレヴェルを下げるべく意識を変え、彼の達成に少しでも近づけるようにやってみたいということになっている現在。思うんだけれども、先生も発症後の10年程の間、自身で常に血糖値をチェックするするというようなことはやられていなかったのではないか? という気がする。測定を習慣づけていると、メタボに戻る間の食生活がどのような高い血糖値を伴っていたかが明瞭に理解できていた筈であるし。数字で確認し続けるということで、ペースを乱すことを避けられる気ように思う。数か月持続できたら、病院でA1cを確認したい。その下げ幅への期待あり。

       

                                          

       

                                         

       

       

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      糖尿病 / 血糖降下剤の副作用のこと

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        専門医にかかっているというわけではない。糖尿病について一定以上の知識はなさそう、という普通の医師。ということになるだろうか。少なくとも自身の印象としてはそう。長いこと朝一錠のアマリール。昼と夕の食後にベイスン一錠という形をとっていた。ベイスンを止め、アマリールも止めたのが2年前の確か3月で、薬を止めて現在2年半程。

        薬を飲んでいる頃に出た症状、あるいは起きたこと。そして止めて以降出なくなった症状、起きないことを考え合わせると、副作用の見当がつくように思う。そうした副作用について医師は一言も注意を促したことも触れたこともない。全く意識にも、その知識にもなさそうな対応。考えも及ばないことなのではないかな、という印象が強い。薬を飲まない理由を、「副作用が嫌なもので」と口にしたことがあるけれども、「どのような副作用?」と症状についてきかれることもなかった。言われても理解が及ばないとしか思えない、知識の薄さを感じさせられた。症状との結びつきを説明するのは充分な予備知識がなければ難しそうに思えるだけに、こちらの印象でこの医師に期待するのは無理、理解してしまっていたところがある。専門医だとどうなのか?

         

        こうした記事で以前、症状について触れている。

        http://extraway770.jugem.jp/?eid=23

         

        もうひとつ薬を止めて以降出ていないこと、出る気配はないと思えることに、路上などで「突然意識が無くなっていく」という深刻な事態に見舞われる症状。薬がどのように影響しているものかは分らないけれども副次的に招いていた何かしらがあったような気がしている。医師には言っていない。関連の説明能力が医師にはなかった筈。だが、その辺りの理由についても知ることができるのであれば知りたい。記憶にある限り、3度か、4度。それは2度目の時だったか、自転車で走っていて、幸いにもスピードが緩んだ状態に於いてではあったが、突然何の痛みも感じも覚えずただ意識が消えて行ってコントロールを失い、当然のように転倒した。すぐ脇が車道だったから状況によっては、どのようなことになっていたか分からない。そのようなことがあると同じ事がまた起きることことを考えてしまい、危なくて運転などやれなくなる。その何も脳に感じることなく、意識が消えだして体のコントロールを失うという事態。僅かな後には意識が戻り、回復する。ということだったが、不快な記憶として残る。

         

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        糖尿病 / 前回クレアチニン値に不安、そして一転

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          腎機能の低下などということには誰しも不安を覚えるものと思う。それが深刻化すれば先に待つものに良いことはない。

          ということでその働きを見る上で必要とされるクレアチニン値。確か10年以上前だったか1.10辺りまで行ったことがあったように思うが、じきに下がり始めて以降は大体0.80前後で推移してきていたように思う。HbA1cが高くなってもその値は変わらずに来ていた。ところが前回4月10日の検査結果表の中の、見過ごしていたクレアチニン値を2週間位過ぎてから見て1.13になっているのを見て、ビックリ。自分の場合からすると異常な高さではないか。下限値0.51、上限値1.19とある。ということは、上限値に近い。結果は受け止めなければならない。でも何をすればよい?  改善の為に必要なことは何?  調べることでしか方法も分らない状況であったが、どうもその気力もわかない。自身の感覚に何か体内におかしなところがあるというものがないせいか、それとまだ上限値以内というところにあるせいか、すぐにどうにかしないとというほどでもないという思いがある。そのうちに上限値を超えても自分の力の及ばないこと、なるようになるさ、などという運命任せの感覚になっていって殆ど気に留めなくなってしまった。

           

          それで今日の病院での検査の結果。HbA1cは上昇していたけれども、クレアチニン値は0.78。前回のは計測ミス? と思えるような結果。今回の場合の表には、下限値0.61、上限値1.04とある。前回と異なる。変更があったのだろうか?

           

                               

           

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          糖尿病 /  どこまで本当か言葉から魔法のような治療がうかがえるものの

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            今年に入っての医者行は1月16日、その次が4月10日。

            その1月の時の結果が良くはなかったのである。要は、抑制をもった食生活というところで相変わらずの意志の弱さが出て、糖尿病持ちとしては望ましくはない外れ加減が出たということ。結果から見てそれを思い知ったというところで、自身としては自分のペースで程々にコントロールをしているとは思っていたわけなので、当人もビックリ。HbA1cは医者にあきれられるような結果で、絶望的に思われあれこれと言われたりしたのだけれども、ただ経験的なことから本人の感覚は医者とは異なるのである。医者がどう感じ受け止めようと、自身の感覚はまたちがう。また自分のペースで良い方向にもっていくことしか考えないし、今までがそんなことの繰り返し。これまで通りに、また修正。医者の前でもさして気にもせず結局そんなことしか考えていない。

             

            ただそうしたことがあって、当然ながらHbA1cは下げなければいけない。薬は使わない状態での下げも、糖質制限食をしっかりと守れば大丈夫と思いつつ、自身の意志の弱さが気になる。かといって薬に対しては副作用への不快感、不安がある。ということで迷ったけれども、2月1日からとってあったアマリールを使うことにした。朝一錠それから3月の終わりに無くなるまで。その間は薬を飲んでいることで意識をせずに食べられる幅はできたし、不快な副作用のようなものも一度として出なかった。ということでは、食べることに関すれば薬を飲んでいる方が糖質制限にそうは拘らずにいられる部分があるわけで、次の医者の時に薬をもらっておこうか、などとも思いだした。備えのようなものとして持っている方が良さそうに思えてきて。

             

            そうして4月10日に医者に行った際にはHbA1cは何も言われないレヴェルに下がっていて、先ずは希望通り。「今日は、薬をもらっていこうかな・・・」と思っていたことを言ったところが、「ええっ?」という、何を言い出すの? といった反応。それを聞いて一気に薬のことをひっこめてしまうことになった。止めたということになっていたわけだったし。医者は私が薬を使いつつA1cを下げたことは知らなかったわけなので、その反応も当然だったか。ともかくそういうことがあって、薬無しでの現在に至るということになるわけだけれども、相変わらずの意志の弱さを感じることのある糖質制限路線ながら、1月16日時点の悪い結果の時には前年10月26日の検査時以降、ちょっと好きな形をとりすぎかなということがあった。今はその時の"失敗"が良く解かるので、次回の検査では大丈夫のことと思う。本来のペースのままにというところ。

             

             

                   ************************************

             

            先週の5月12日金曜日。早稲田の古書店の店先で、たまたま手にとったのが1995年刊の春山茂雄「脳内革命」。出版当時評判になった記憶はあったけれども、手にとったこともなく内容については未知のまま。誰しも生きていく上で頼らなければならない自身の脳のことには、多少なりとも関心を覚えずにはいられないものがあるというところで、何となくという程度ながら少し読んでみようということになった。「プロローグ 東洋医学と西洋医学の接点で治療」、"脳からモルヒネを分泌させなさい"、"脳内モルヒネは成人病も防いでくれる"・・・・・・。

            この中で興味を覚えたのは、この部分。

             

            糖尿病と高血圧の63歳の男性は入院したときは意識もうろうの状態でした。最初は仕方なくインシュリンを使いましたが、すぐ飲み薬に代え、今は両方とも使っていません。この人の治療法も他の人と同じ、先に挙げた三点セットです。

             

            この三点セットとは、「食事」「運動」「瞑想」。「食事は高タンパク・低カロリー、運動は筋肉をつけて脂肪を燃やす。瞑想はプラス発想をしながら瞑想室に入ってもらい脳波を測定する」。

             

            書かれているのは、それだけである。実態不明の作文を読んでいるような印象をもって読んだのも、事がそれほどに容易に行くものかという思いがあったからだろう。1995年以前の治療事情に於いて、こうしたことができたことなのか? 奇跡を語りたがっているだけのように思えてならない。

             

                          

             

             

             

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            糖尿病 / 薬を止めて9ヵ月

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              というJUGEMテーマ:日記・一般

               

               

              6か月程前に前記事に書いたように、薬を止めたのが3月の12日。朝SU剤のアマリール1錠、それと昼と夕食前に、こちらはベイスンを1錠というように服用していたのを、その日を最後に終了。40日分ほどの薬が袋の中に残されているけれども、廃棄はしないものの、使うことはない。とりわけアマリールには二度と御免という、拒絶感がある。前回の記事に書いたけれども、副作用から時に生じた症状は思い出しても、不快。その薬ゆえという確かな認識、感覚がなかったことからか、その症状について医師に話したこともなかった。だが薬を止めて以降、薬など使わなければ全く無縁の症状であることがはっきりとしている。医師がどの程度そうしたSU剤の副作用についての知識があるのかは解らないけれども、特に言葉もなく変わらずに薬を出し続けていたところからすると、意識にはなかったのではないかと思う。HbA1cの結果が悪ければ、薬を増やすことを提案したり、インシュリンに切り替えてみることを勧めたりと、その方に対処を向けようとする位なのだから。そのどちらも、今は私などからすれば邪道としか思われない、拒絶すべきこと。

               

               

              自主的に薬を止めた後、その2ヵ月程後の診察室での医師とのこんなやりとり。

               

              「(薬を必要としないのであれば) 病院に来る必要がないんじゃないですか?」

              と医師。

              「いやいや、HbA1cの状態を知らないといけないですからね」

              と私。

              「・・・はい・・・・・」

              と、それはそうですね、と半呼吸ある風な受け留めの女性医師。

               

              私の医師の言ったことへの印象としては、当然と言ったら良いか、ちょっとしたおどろき。意外さ。

              薬を出すためだけの病院?  そんなことはない、経過の確認のための一定の期間を置いての検査は大切、ということは完治のない糖尿病ということでは当然である筈。ということから、この30代に入っていると思われる女性医師の認識はどうなのかな、と。

               

              薬を止めて以降、現在に至るまでの血液検査の結果で、数値的に医師に言われたのは、悪くはならないけれども私の期待するようには良い値にならないHbA1cのことを別にすれば、ケトン体についての指摘。糖質を減らせばケトン体が増えるのだろうし、それはそれで補充的な役割を果たしてくれるものなのだろうから、指摘されるようなことでもない、という感覚で私はとくになにを言うでもなく受け止めているというところ。気になることがない。HbA1cについては、要は私が意志の弱い人間で食べることに関して、抑えが利かないということが影響している。低糖質の食品を選び三度の食事を糖質制限食にしている場合でも、低糖質(例えば一時期の木綿豆腐を使ったものなど)であること、食欲から量を行ってしまうということを止められない。HbA1cが悪くなることはないが思うように下がっていってくれない理由は、主にそれ。あるいは一定の日を置いての、菓子類食し。だが少なくても薬無しで、薬を飲んでいた時のHbA1cの状態と変わりがないかより良くなっているということであれば、自身的には不満はない。体調的にも、良い状態であることだし。運動は、日々変わらずに心がけている。

               

              ひとつ、これもSU剤血糖降下剤の影響、副作用だったのではないかな、と思われることがある。現在の、薬を服用しない自身の感覚からは、同じようなことが起こるとは考えられないからである。それは一年に一度というほどに間隔のあったもので、あるいはもっと長い間なかったこともあると思うけれども、全く何の前触れもなく、突如として脳内に麻痺のくる感覚。痛みのようなものは、全くない。ただ麻痺し、コントロールを失い、そこにへたりこむしかないような感覚。夜、外を歩いている時に生じたこともあるし、一度など自転車を走らせている時で運良くゆっくりと行かないといけない場所であったが、突如脳内の麻痺が生じてコントロールを失い、転倒。その時期、また万が一走っている時に起きたらと、怖くなった。痛みも何もない、脳内発生麻痺感覚。全く制御のきかない危険状態で転倒などしたら、車の通る道路の場所によっては何が起きるか分からない。どうもそうしたことが起きたのも、薬の影響からだったのではないかなと、思うのである。なにか異常な感じ、不自然にやってくることに於いては胸の血管にやってきたのと同じようで。

               

               

                                          

               

               

               

               

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              糖尿病 / 薬の副作用のこと、運動効果のこと

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                最近になって気づいた、これは、と思えるようなことがある。3月12日で朝一錠のSU剤アマリール、昼と夕に一錠づつのベイスンの服用を止めた。2004年からの服用だからほぼ12年ぶりに薬無しという状態に戻ったということになる。最初に糖尿病治療で非常に悪い状態で病院に行ったのが1993年の5月。それでも経口剤(確かダオニール)服用で次の月初めには血糖値81。当時はHbA1cは、未だ無し。8月頃には薬の服用を必要としなくなった。翌年まで検査に病院には間隔を置いて行ったものの、以降2004年までの10年程は全く行かなくなり、自分流に食事療法、運動療法を最初の頃に手にした治療本や食品交換表の知識に従い、意志の弱さに乱しつつも療法を続けていた。当然と言うべきか、当時はそれが普通の、糖質もカロリー制限内で摂って良い形の療法だから、完治がない糖尿病の性質から、薬無しではいずれは大変なことになっていくのが解っていたようなやり方であったことは、今になれば良く解る。

                2004年3月にほぼ10年振りに病院に行った時のHbA1cが、14.7。体の状態としてはひどいものだったわけだけれども、それにぎりぎり耐え抜いていたということになるかもしれない。7か月後にはHbA1c6.9まで行ったのだけれども、その翌年辺りに記録した6.2の月をベストに、以降この3月まで変わらぬ薬の服用生活。そうしてその薬を止めてみて気づいたということなのだが、あれは明らかに副作用だったのだな、という症状。というのもその症状は薬を止めて以降出ないし、出ることは考えられない状態にあることが感覚、体感としても分かるのである。その症状というのは、1993年に血糖降下剤を服用していた時にも経験している。はっきりと不快な記憶として残っているのは、間違いなく服用時期のことだったと思う。

                同じ、不快な、そして不安感を覚えさせる感覚なのである。今年になっても、薬を止める以前の何か月かの間は、月に一度くらいあって間隔が狭くなっているような気がしていたし、記録をしていないので漠然とした記憶頼りだけれどもそれ以前の長い間も時に、という感じで、他の思い当たるような症状と共に出ていたような気がする。その不快、不安を覚えさせた症状というのは、胸部辺りの血管にサビが来るような感覚というのか、なにか鉛イメージが伴うような、ちょっと鈍い締めつけがあるような感じで、明らかに異常、異変の訪れだから、不安が伴うし、どうにかしないとという意識になる。立ち止まるなりして深呼吸をする、症状が消えて行ってくれるのをそのまま待つしかない、というような状況。1993年当時がそう、そして薬を飲んでいたごく最近まであったのも、全く同じ症状。

                家であれば、ベッドに横になって暫く症状の治まるのを待つこともあった。やわらげるような呼吸を試みる。むろん経験的にしばらくすれば薄らぎ消えて行ってくれることは解ってゐろつもりでも、とりわけ夜などだとそのまま深刻なことになるのではないか、などと悪い方の想像をしてしまたりもした。なにしろ症状的に、去ってしまえば何のことはないものの、なにか血管の劣化を重く感じさせるような感覚を伴うものだから。だが朝一錠のSU剤血糖降下剤を完全に止めて以降感じるのは、薬のない自然状態ではありえない症状、という印象が強いし、誤りない。どういう作用によるものかは解らないけれども、ともかく薬による影響以外にありえないものだったというのが、実感。よって、薬を飲み続けていれば、その症状とのつきあいも当然変わらずということであった事実。

                糖質制限食に変更、薬使用を止める。むろん以前から糖質制限食の知識はあったものの、今回の開始は、youtubeでのビデオがきっかけ。自発的に始めたことで、自身が始めなければ医師は相変わらず薬を出し、私もそれまで同様たいして考えもせずに同じことを続けていたことと思う。その惰性のような状況は、結構一般的にありがちなものではないか?  理由はともあれの、さして信頼しているわけではない医者でも、任せ状態にする。たまたまながら、ここに書いた厄介で不快な症状が薬の影響であったことに思い至ることができた、治療変更を自ら選べたのは、本当に良かったことだと思う。もう二度と、以前の食事療法での血糖降下剤使用という形に戻るつもりはない。前回の病院検査が3月7日。そしてその12日から糖質制限食開始、薬無しに変えて、次の病院検査が5月2日だったのだけれども、HbA1cは下降。薬無しで下がっているということは、事実上薬が必要のない療法であるということの証し。次回の検査予定は6月20日。



                                                


                実の処、これまで自身で血糖値を測定するということがなかった。よって長年自身の感覚だけでHbA1cの流れなども把握しようとしてきていたし、血糖値などもそのときどきの、自身の感覚するイメージの中でおおよそを捉えてきたということになる。先ずは継続的に食事療法を守ること、ということが運動療法と共にあったわけだけれども、意志の弱さを常に感じつつで心がけつつもHbA1cを上げたり下げたりの繰り返し。今度自己測定をするようになって、その時々の血糖値を具体的に知ったのは、当然ながら非常に有難いことになったと思う。糖質制限食を始めてからの測定なのでそれ以前の場合のことは解らないけれども、ひとつ具体的に知ることができて良かったのは、運動した場合の血糖値の変化。

                糖質をカロリー制限内で摂る前の食事療法の場合には、当然食後に上昇する血糖値に対応したそれを抑えるための運動が意識されるということになるんだけれども、糖質制限食の場合には食事で上昇を抑えるのが前提だから、特に空腹時血糖値の良好な人の場合など、その分の運動は必要としないとも言える。ただ自身の場合、基本的に朝昼夕の3食共に主食を抜く糖質制限ながら、空腹時血糖値が目下のところ低くて130台というところなので、場合によっては計算より以上に食後1時間の血糖値が180を超え200近くになったりすることもある。というような現況なので、食後に限らず気の向いた時の気軽な運動は、常に意識している。


                    


                室内ではひとつ17/1.5キロのダンベル。ビデオなど見ながら、例えば15分ほど両手にひとつづつ持って上下運動などやると、一回について血糖値が25〜30程が下がる。重宝している。それから経過を解りやすくするために、1分で一上下交代のこういう時計を利用。砂時計変わりともいえる。15回繰り返せば、実際には15分をいくらか越えるが、まあそんな時間分。

                           


                     追記 6月13日      
                毎朝の定番になっている飲み物のことで、ひとつ。これは業務スーパーで買う木綿豆腐なのだけれども、「濃厚豆乳」と表示されているところが解りやすくて良い。糖質制限食に変えてからは通常の牛乳を止めて豆乳に変更。パック入りのものを買っていたけれども、この表示の木綿豆腐を見て、初めてこれで豆乳をつくることを考えた。以降、ミキサーで他は牛乳時と変わりなくオクラだとかタマゴ、納豆、緑野菜いくらか等。ベビーチーズなども。それにこの木綿豆腐100gほど、水200mlを加えての特製豆乳。多少なりともトロリとした感じにしたくてのオクラや納豆なのだけれども、グラスだったのをいつか大きめの器に変えて、スプーンを使って食するようになった。水200mlにせずに、水100ml、コカコーラゼロを100mlにすると甘味が出て、美味。こちらを私は好んでいる。木綿豆腐は、できるだけ粗目の仕上げのものの方が、トロリ感が増して良い。近辺のスーパーなどの場合だと、300g 38円、49円といった低価のものがその粗目造りなので、使うならばそちら、という現在になっている。

                            
                                    
                   故郷新潟の長岡にて
                                                                                 

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                糖尿病/ 「糖尿病の名医はあなた自身の中にいる」と言うことも可

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                もうJUGEMテーマ:日記・一般

                ここのところ、今まで意識したことのないことが、自身の中で起きてきている模様。
                ビートルズの曲に、Long and winding roadというのがあるけれども、糖尿病は「
                Long and straight road」だなと、それをスローガンのように思えるようになっているようです。糖尿病になって23年も過ぎた今になってである。今までは、糖尿病であることに対して、別の感覚状態にあった。コントロールについては、Long and winding road的状態側にあったと言える。

                HbA1cを下げて行ったり、まだ上げて行ったり、上がりすぎればまた下げるべく食事等についてより慎重になったりの、行ったり来たり、という状態を見ればwinding road的なことになる。一定しない訳なのだから。勝手にwinding road状態にしてしまっていたということ。理由は、意志の弱さから、ということも言える。でも糖尿病で日々食事、運動等について意識をしつづける皆さん、意志の強さを試されつつも、うまくいかないことが多いんですね。食欲は、人間の本能としてあるものであるし。意識しつつも負けてしまう、その結果のHbA1cへの反映。医師は、当人が糖尿病でもない限り、糖尿病者の気持などには構わず、良かれと思ってか厳しいことを言ったりもするでしょうね。合併症の怖さをちらつかせたりして。言うことは、決まっているんですね、いつも大体。

                5週、あるいは6週毎に病院でHbA1cを見るのだけれども、その間の食事療法(カロリー制限療法)80点程度だと上昇、90点位だと下降。自身の感覚目安としてはそんなところで、経験的にそれは裏付けられている。よって下げたい時には、例えば5週35日の内、大きく乱す日を3日以上にしてはいけない、というような形。そんなふうにして長年やってきたように思うけれども、ここに来ての気持ちの変化は、そういう糖尿病に対するやり方を変えなければということになるようである。90点以上ペースをつづければ、ここのところずうっと7代後半から9までを行ったり来たりしていた状態から、もっと下にに行けるはずであったのに、下がればまた80点位に戻してしまうという、弱さと言ったら良いのか、そういう状態になってしまう。

                8台などにいると、先生は眼のことを言う。検査のことを言う。インシュリンをやりますか、などとも言いだされる。目の検査などは10年前から、先生によっては繰り返し言ったりしていたものだけれども、私には全くその気無し。大丈夫なことは自分で解っている、ということでなのだが、それでもHbAicが高い状態だと、視界が不安定になることもあって、あれこれの情報が入れば不安を覚えることもここにきて、なくはなかった。ただ、この2年程診てもらっている30代初めの女性医師は、私に検査の気のないこと、インシュリンなどもやる気のないことが解っていて、そうした疎通はできてしまっているのだけれども、自分が必要と感じ、納得する限りにおいては、検査であれなんであれ、自分でお願いしてでもやる、というのが当方のスタンスということになるのだと思う。

                ともかく、ここにきての糖尿病に対する気持ちの変化。Long and straight road(長く真っ直ぐの道)スローガンのことになるのだが、きっかけは、医事評論家の水野肇さん著「糖尿病と私」(2011年9月中央公論新社)を偶然に図書館の書棚から手にとり、借りて読んだこと。幼い頃、体が弱く10歳まで生きられるかどうかと言われたという1927年生まれの彼なのだが、糖尿病になってもう30年以上の、今年89歳になるお年ですか。興味深く読ませていただいたのだけれども、改めて気づかされたのが「
                糖尿病は完治することのない、一生つきあわなければならない病気である」ということ。それから自身の感覚をそのまま言い当てていたような、この著書が出た2カ月後の2011年11月に亡くなられた当時の鳴門親方(横綱隆の里)の糖尿病者としての言葉、「糖尿病は患者の数だけタイプがあるのではないか。こういう病気は主治医は医者ではなく患者自身である」。

                水野さんはご自身の糖尿病についてはwinding road(曲がりくねった道)を辿ってこられたということであろうし、その体験も書かれているのだけれども、その治療方面のことが参考になったということよりも、「一生つき合わなければならない」という解りきった事実を正面からそれと受け止めてこなかった自身に気づかせてもらったことが大きいと思う。その時その時だけの短期対応主体イメージのままに来なかったか?  長く先を見据えての療法対応意識にはなかったのではないか?  という辺りのこと。もう5、6年前になるか、極力糖質を摂らない食事療法などに関心を持ち、試してみたことなどもあったけれども、その時だけのことに終わってしまったりで、結局自身の療法は二十数年前の、最初の食事療法ベースのものを出ないし、今も基本は、その形。変える考えはない。(
                後日記: 実は、自身が納得をした上でこの3月9日から糖質制限食に変更しました。朝1錠だけ飲んでいたSU剤薬も止めました。)

                また水野さんのことになると、医事ジャーナリストとして活躍され、大学病院の教授との関わりも色々とあり、その関係の紹介等を辿っての著名教授による糖尿病治療ということなどあって、ある面恵まれていたとも思える。だが、教授側の事情や、ある医師にはその医療姿勢に自分の気持が離れることなどあったりで、彼が糖尿病の専門医でこの人に診てもらいたいという積極的な感覚を持ったのは、81歳の時の担当医のI先生(東京医科歯科大講師)が最初で、これが最後になるだろうと、この著書の中で言っている。81歳になって、漸くそうした医師に出会えたということ。それほどに完治ということのない糖尿病ならではの、医師に求めたい人間的希望というもの、それが充たされることの難しさというものがあるということではないだろうか。本当に心ある良い医師に出会いたい、というのはこの場合にも誰しも願う筈。

                Long and straight road。長く真っ直ぐな道。当人の意志の強さは、大切です。自身などは、その点足りないところのあるタイプだけれども、いずれにしても頑張りは欠かせません。名医云々ということでは、
                主治医は結局のところ患者自身であり、その意志が良い状態を保持してくれるならば、それはベストの医師を得ていると同様であるということになると思いますね。




                背にヴァイオリンでウォーキングのこと、多し。
                And 最後に弾いて帰ります。

                         (2016年2月)



                 
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                糖尿病 / 糖尿病に関するテスト問題で誤答をする、のこと

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                大学の授業、講座ををネット上でも間接的に受けることができる、それも無料で、むろん外国語ができるならば国外の大学の講座を、というような知識は持っていた方が良いと思うし、とりわけ年齢の高い人などは、脳刺激のために多いに利用をした方が良い、などと個人的には思っているのだけれども・・・・・。

                そうした講座の一つにJMOOC(Japan Massive Open Online Courses)のものもあって、目下順天堂大学医学部の公開講座を受講しているところ。関心を覚えたのも医療の現在を知ってみたいと思ったことや、糖尿病に触れてもいることなどがあってのことなのだけれども、専門に入りこんだ部分になると知識のない当方などにはもう難しすぎてどうにもならない、というところもあったりするものの、ともかくこれも良い経験、と。

                Week-1 から Week-4まであって、そのWeek-2のところでのテーマが「糖尿病のメカニズム」。膵β細胞だとか、インクレチンなどのこと、これまで全くの不勉強でそうした方面のことについての知識がないまま。各Weekの終わりに確認テストというのがあって、例えばこのWeek-2の問題だと、

                Q1  GLP-1に関して過っているのはどれか? 
                 
                  A   GLP-1 はDPP-4により速やかに分解される
                  B   DPP-4活性化薬が糖尿病治療薬として用いられている。
                  C   GLP-1作用はGIPに比し、糖尿病患者で比較的保たれている。
                  D   マウスにおいて、GLP-1作動体作動薬には膵β細胞保護作用がある。


                Q5まであるうち、こうした専門的な難しい問題の最後に、糖尿病患者にはなじみ深い事柄についての問題があって、

                Q5  短期間の高血糖の結果出現する症状で誤っているのはどれか?

                   A   のどの渇き
                   B 頻回の排尿
                   C   細菌感染が治りにくくなる
                   D 目が見えにくくなる


                糖尿病患者としては、こうした経験的に知っているはずの問題で間違えるわけにはいかない。ということになるのだが、AとBは当然の症状として、思い至ることがある。だが、その「経験的に知っているはず」のことに、CとDは入ってくるものがない。思えば「短期間の高血糖」というのを経験した?  短期間ではなく、高血糖状態をずうっと放置したのちに病院に行ったのが自身の場合。それでも、当時目が見えにくくなったというような記憶もない。細菌感染? それとの関わりまで考えたことがないが、さて、どういう答になる?  等々、すぐに確信が持てる答は、出てこない。 



                                
                 

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                糖尿病/血糖値などは記載不要なもの?

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                  今回はたまたま5週目、普通には6週毎に採血などをしに病院に行っている。月一回というペース。という形で長いこと来ているけれども、こちらの関心は先ずはHbA1cの推移ということで、その値のことは気になる。と同時に、自家では血糖値を見ていないので、そこで知る血糖値は参考になるし、これまで一度として記載のなかったことはない。それが、今回、いただいた「検査結果情報」を後で見て、「糖」のところに「−」としかないことに気づいた。マイナス、ということは分かるが、数値としてどの辺りにあるのかがこれでは分かるわけもない。検査側としては、この形で示すことで足りるという判断なのにちがいない?  たまたま数値記載にすることを忘れたのかもしれないので、一応次回に確かめてみたい。確かに知りたいのはHbA1cで、その日の血糖値は分かれば良い程度のものではあるけれども、このまま+、±、−、のような表示でいかれても、それは足りませんね、やはり。

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                  糖尿病/解らない血圧値のことだのトロロ風ジュースのこと

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                    去る1月26日の月曜日が6週に一回の病院の日だったのだけれども、前にも触れたことがあると思う、血圧のこと。医者のところで測ると高く出るという事実。どうも良く解らない。自身は、特別緊張するわけでもない。普通の感覚でいると感じているのだが、「170」というような、普段はありえないような値が出る。今回行った時には、新たに外側のフロアーに血圧計が置かれていたので測ってみたところ、予想を超えて「171」というような値。ということは、医師の前でのことだけではなかったのだと、納得。これまで診察室で先生の使う血圧計はおかしいのではないか、などと思ったりもしていたものなのだ。血圧計がおかしいわけではないのは解っているものの、何故そうなるのかが理解できないという、感覚。

                    少し前までは、自宅の血圧計での結果をメモしておいて先生に見てもらうことで、普段の状態を知ってもらうことにしていたのだが、だいたい120〜130台というところなのが、そこに来ると、自身は普段と変わりないという感覚であるのに、170などということになる。というようなことがあって、近隣にクリニックなどの入っている大きな店の、ドラッグ売り場そばに置かれた血圧計が利用しやすいので、外での結果ということにこだわって、それを先生に知らせるようになった。店からいただいた血圧手帳に、たまにという程度ながら、記帳。その前日の1月25日の場合だと、131/77、136/78、他に121/75というのもあったけれども、いずれにしても140以上にはいかない結果で、常とほぼ変わりなし。

                    自身としては、高い値が出ることで薬のことなどを言い出されるのがいやで、普段の血圧を医者に知っておいてもらいたいということなのだが、それだけのことで普段の生活で、時に高い感覚を覚えることがあるとしても、長年同じような状態で来ている流れから、意識的に心掛けていることなど何もない。どちらにしても薬を飲むつもりなどもない。先生は30代前後の若い女性医師だけれども、病院に来ると血圧が高く出る傾向のことは、一般のこととして承知しているものらしい。ただ普段家などで測ることのない、病院の結果だけで医師に判断されるような人の血圧値の場合、たまたまそこで高く出て不必要に薬を飲むように勧められ、それに従う人もでてくるのでは?  そのあたりのことは気になる。


                                                             *****


                    自身の日々の食生活に不可欠の、野菜摂取の為ともしているジュース。長年特に工夫もなく、牛乳、バナナ、それに納豆25gほど、などというのを野菜の他に必須のように使ってきたけれども、それは人さまざまの好み、習慣で自由なこと。ところでひとつ最近になって自身の場合の新しいジュース傾向。それは、何年にも渡って好んで飲んできた
                    コカ・コーラゼロをある時、このジュースに使うことを考えた。、それと、オクラを2個ほど。それによって、感じが一変。コーラゼロによる甘味とオクラによる粘り気で、仕上がりもトロリとして、味も濃厚に。

                    牛乳は一回について、100ml。コーラゼロは200ml見当。それでも普通のグラス3杯分位になるか。例えばそのトータル300mlを減らせば、スプーンで掬って食べるに好ましい、トロロ状態の形にもなる。ともかくオクラというのは、内から重く盛り上げてくれるような、粘りを生んでくれる食材ですね。野菜は何を入れても、仕上がり味に変化はないように感じている。すりゴマなどを入れることもある。甘味のあるキィウイ風の味と言えるか。あるいは他の?   ともかく良い味。


                            
                                  
                                                                                      Feb 2015

                     
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